さぼり魔の日記

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オカン(免許)
 姉親子との生活も慣れ始めたみたいで、
体調も若干ではありますが良くなってました。
それでも今までのようには出歩くことも出来ない様子で、
ちょっと歩いただけでも疲れるみたいで往復10分の買い物も1時間ほどかかってました。
そこで何を見迷ったのか原付免許を取ると言い出したのです。
この時オカンは63歳でした。
勿論、私は反対しました。

私 「オカン何考えてんねん!バイクなんか危ないからアカンぞ!」

オカン 「でも今のままやったら買い物行くのも大変やわ」

私 「そんなん姉ちゃんに頼みぃや」

オカン 「自分の事は自分でしたいねん」

私 「オカンなんかバイク乗ったら絶対事故するって!」

オカン 「大丈夫や、スピード出さへんから乗れるって」

私 「それが危ないねんがな!」

私 「あれにしときや、セニアカーやったっけ?足の不自由な人が乗ってるやつ」

オカン 「あんなんいらんわ、カッコ悪くてよう乗らんわ」

言い出したら聞かないのはいつものことなんですが、
普通その年から免許取りに行くかな・・・

2週間後には免許取得してました・・・
そんな簡単に取得できていいのでしょうか・・・・
ある意味殺人兵器みたいなもんですからねw

取ってしまったんなら仕方ないとバイク屋に行き、
なるべくスピードが出ないバイクを探しました。
もう一つの問題はバイクのスタンドを立てれること、
これが以外に問題でして、
お年寄りにはスタンドを立てるのが難しいみたいです。
ましてやオカンは力もありませんから乗ることが出来てもね・・・
そんな事情を説明したところいいのがあるらしくて、
オカンをバイク屋まで連れて行き練習させました。
これなら何とか出来そうなんで買うことに・・・

1週間後バイクは届きました。
とりあえず人も車もあまり通らないとこで練習。
やはり怖いらしく20kmぐらいしか出せない様子。

私 「やっぱ危ないからやめとき」

オカン 「近所のスーパー行くぐらいやから大丈夫やわ」

私 「せっかく寿命延びたのにこれで間違いなく縮むで!」


それから1ヶ月ほど経った頃、姉から連絡がありました

姉 「オカン事故りよってん」

私 「やっぱやってもうたか・・・・」

私 「んでどうなん?人身か?」

姉 「ううん。前から車来て避けたら壁に激突したらしいわ」

私 「アホや・・・・。怪我は?」

姉 「鎖骨骨折したみたいやわ」

私 「まじか・・・・。もう乗らしたらアカンな」

バイクは多少傷がついた程度でしたが、
オカンは鎖骨を骨折し重症とまでは行きませんが、
また通院生活を余儀なくされました。

私 「オカン、もうバイク禁止やからな」

オカン 「大丈夫やって」

私 「全然大丈夫ちゃうやないか!」

私 「もうちょっと位置ずれてたら胃破裂しとんねんで」

私 「セニアカー買ってくるからそれにしとき!」

こうしてオカンの暴走行為は幕を下ろしました。
今ではセニアカーで機嫌良く走ってますw

そして違う意味でオカンは暴走して行くのです・・・



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オカン(説得)
 退院の日、私はオカンを迎えに行きました。
昼から退院なのですが、昼前に着いた頃には身支度も終え早く家に帰りたい様子でした。
その晩はみんなで外食しよってことになり、
何を食べに行くか相談しました。

私 「オカン何食べたい?」

オカン 「牡蠣が食べたいなぁ」

私 「牡蠣なんか好きやったっけ?」

オカン 「大好物やで」

生まれてこのかた、私はオカンの好きな食べ物すら知らなかったのです・・・
今にして思えば、オカンの飯食べてる姿見たことなかったんです。
晩御飯の時もみんなは食べてもオカンだけは食べてませんでしたね。
以前にも嫁に聞かれたことあったんですが、

嫁 「お母さん饅頭とか食べる?」

私 「オカンは甘い物食いよらへんで」

私 「そんなん食べてるのん見たことないわw」

嫁 「ほんじゃ何やったら食べるかな?」

私 「・・・・・・・・わからへん;;」

後に知ったのですが甘い物大好きらしいです・・・

子供なんてそんなもんですよね!
親が子供を想うほど子供は親のこと想ってないんですよ・・・
私もオカンがこんな状況になったんで面倒見てますが、
元気なら恐らく放置してると思います・・・
実際、病気になるまでは実家に帰ることなんて滅多にありませんでしたから。


外食を終えみんなで実家に集まりました。
退院したとは言え1人で日常生活が出来るほどには回復してませんし、
これからも回復するとは思えませんでした。

姉 「オカン、私と一緒に住もうや」

オカン 「何ゆうてんの、1人でやっていけるからええわ」

私 「オカン1人じゃ無理やって、姉ちゃんと一緒に住みぃや」

オカン 「あんたらの世話ににはなれへんわ。人を病人扱いせんといて」

私 「病人やないか!ちょっと歩いただけでも息切れるんちゃうん?」

オカン 「こんなんそのうち治るわ」

私 「治らへんて・・・・頼むから一緒に住んでくれや」

オカンはなかなか首を縦に振りませんでした。
言い出したら引かない人ですが、こちらも引くわけにはいきません。

私 「ええ加減にせいや!みんな仕事もしてるし、そんなしょっちゅう顔も出されへんやろな」

私 「ゆうとくけどまだ治ってないねんで、いつ再発するかわかれへんねんで」

私 「もしものときどないするん?誰も居らんかったら1人で何もでけへんやん」

私 「住むとこは俺が探すから見つかり次第決定やで」

嫌がるオカンを無理やりうなずかせました。
オカンが気を使って言ってるのはわかってるんです。
でも私の中で次に再発したらもうダメだろうと思ってました。
そうなると自宅養生になるのではと考えていたので、
誰かが同居しなければならなくなります。
準備はしておかないと・・・・


姉は、たこ焼きの移動販売をしておりまして、
どうせなら店が出せるところがいいと言うことで探しました。
オカンの希望は自分で自炊できること、
姉親子も出来れば別で台所がほしいと、
それらを総合すると・・・・・
店舗があって二世帯住宅にしなければいけませんでした。

立地条件なども考えると・・・・・
あるわけない!!!

そこで色々考えました。

実家とマンションの売った価格を想定して、
買える金額を出しました。
大体1千万ぐらいでなんとかしなければいけない感じでした。
知り合いに頼み3件の物件がを見に行きました。
勿論中古物件です。
その中から1件にしぼりました。
しかし家はかなり傷んでます。
家の価格は600万でした。
どう見てもリフォームに400万以上かかるな・・・・
そこでなるべく安く上げるために自分でリフォームすることにしました。
自分でって言っても大工仕事は大工さんに頼みましたよw
設計から解体まで全て私の会社でやりました。
大工仕事以外はほぼ自分でやりましたね。
まぁ、いつもやってることですが・・・
当然、私の会社は大赤字です。
普通に工事すれば500〜600万のところを200万でやったんですからねw
ちょっとでもオカンにお金残しとかないとね。
姉もそんなに収入があるわけじゃないんで、
せめてこのくらいはしなければ・・・・

工事は1ヶ月ほどで終わり、引越しも完了しました。
ここからオカンの新たな人生が始まったのです。



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オカン(術後)
 術後2日程して個室に戻ってきました。
やっとしゃべれるようにはなったのですが、当分口からは物が食べれない状態でした。

私 「どうや?やっぱまだ痛いん?」

オカン 「そら痛いわ、痛み止め薬ばっかり飲んでんねん」

そりゃ痛いでしょうね・・・
傷口を見ることは出来ませんでしたが、胸の辺りがモッコリ膨らんでるのは見てとれました。

私 「手術6時間以上かかってな、俺はもうアカンと思ってたわ」

オカン 「らしいな、先生から聞いたわ」

私 「でも、ほんまよかったなw」

オカン 「だからゆうたやろ、絶対成功すると思ってたわ」

私 「手術は成功したけど完治したわけとちゃうで、これから転移とか再発の可能性もあんねんから」

オカン 「大丈夫やって、またなったら手術したらええねん」

私 「アホかwそんな何回も出来るわけないやろ!」

私 「そんな何回も手術して取っていったら臓器なくなってまうがなw」

オカン 「まぁ、なったらなったとき考えたらええわ」

私 「そや、早かったら1ヶ月ぐらいで退院できるって」

オカン 「もっとはよ退院するわ、病院退屈でかなわんねん」

そんな他愛も無い会話をしながら私にはしなければいけないことがありました。
それは退院後、姉が面倒みてくれることにはなったんですが、
問題は住むところなんです。
実家があるのですが姉は実家に住むのが嫌らしく、
かと言って姉はマンション住まい。
姉と相談した結果、実家とマンションを売って家を買うことにしました。
そのへんは私の仕事柄、知り合いも多いのですぐにいい物件が見つかりました。
この時オカンの了解はとってなく、私達で勝手に決めたことでした。
とりあえず退院してからオカンには話しようと考えてました。

術後1週間ほどすると結構元気になってきまして、
主治医にも動けるのならリハビリも兼ねてなるべく動いて下さいとのことでした。
この頃には痛みもかなりマシになったようで、
たぶんこの頃からまたタバコ吸いだしてたと思います・・・

2週間経ったころに初めて手術跡を見せてもらいました。

私 「うわ・・・・なんじゃこれ・・・」

私 「これはえぐいな・・・」

みぞおち辺りから喉にかけて直径7〜8cm程盛り上がってるのです。
確かに皮膚のすぐ下に胃(食道)がある感じでした。

私 「人間ってすごいこと考えるんやな・・・」

私 「これやったら物食べた時どの辺り通ってるかわかるな」

オカン 「何かな、最初のうちは小さい物しか食べられへんねんって」

少量を数回に分けて食べなければいけないようです。

たぶん服を着ても薄着なら膨らみを隠し切れないでしょうね。
何歳になっても女性ですからね、本人はかなりショックだったと思います。

3週間が経った頃には流動食なら食べれるようになってました。
この頃には外泊の許可ももらえ1度だけ家に連れて帰りました。

4週間後いよいよ退院する日がやってきたのです。
実に入院生活3ヶ月目のことでした。

一先ずオカンは癌を克服したのです。
そして、ここから起こすオカンの行動は並外れたものがありました。

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オカン(手術)
 いよいよ手術が始まりました。
手術時間は3〜5時間ぐらいと聞いてました。
私の中で最初の1時間で終わったら中止かなと思ってました。
身内の控え室が用意されていたのですが、
最初の1時間は手術室の前で待ちました。

「頼むから出てこやんといてくれよ・・・」

看護士が出入りするたびにドキッっとしました。
1時間が過ぎても先生が出てくる様子もなかったので、
何とか手術できてると思いその場を離れました。

みんなで控え室に戻り結果がくるのを待つことにしました。

待ってる時間は非常に長く、時間ばかり気になりまして、
全然時間が過ぎないのです。

何度か手術室の前まで見に行くのですが、
手術中のままなんで、手術ができたうれしさの反面、
成功するかが不安でもありました。

「オカンの体力もつんかな・・・」

「手術中に死ぬなんてことはないんやろうか?」

こんな時って悪い方にしか物事を考えることができないんです。

2時間が経ち3時間が経過しました。

「早ければもう終わるかも知れんな」

待てども待てども結果は来ませんでした。
心配になり手術室の前で待つことにしました。

4時間が経過しました。

3〜5時間と聞いてるのでまだ範囲なんですが、
段々心配になってきました。

「オカン大丈夫なんかな;;」

祈る気持ちで出てくるの待ちました。

1分が一時間に感じるぐらいゆっくりとしか過ぎていきません。

いよいよ5時間が経過しました。

まだ手術中ランプは消えず誰も出てきません。

「ほんまに手術してるんか・・・」

私の不安もピークに達してました。

遅すぎる・・・・・
まさかオカンに何かあったのでは。
中に入ることもできないので状況がわかりません。

5時間30分が経過したころ、
「絶対オカンに何かあってんは・・・」
それしか考えることができませんでした。

ただでさえ体力がもつかどうか危ぶまれていたのに、
予定より時間がかかればそれだけ負担が大きいのではないかと。

「これは覚悟しといた方がいいな」

私はかなり落胆してました。
そんな私を見て嫁が

嫁 「大丈夫やって、絶対成功するって」

気休めでしかないのですが、嫁もそう言うのが精一杯だったみたいです。

私は手術室の扉から目が離せませんでした。
すると手術中のランプが消えたのです。
この時6時間が過ぎたころでした。
すると執刀医と主治医が出てきました。

私 「先生!母は大丈夫ですか!」

主治医 「手術は成功しました」

私 「あ・・・ありがとうございました;;」

もう涙が止まりませんでした。
この時ほど医者に感謝したことはありません。

主治医 「予定よりかなり時間がかかってしまいました」

主治医 「癒着が酷くて剥がすのにかなり時間がかかってしまいました」

主治医 「容態も安定してますし麻酔ももう覚めてます」

主治医 「しばらく集中治療室で容態を見ます」

主治医 「後で面会できますのでもうしばらくお待ち下さい」

私 「本当にありがとうございました」

私はそう言うのが精一杯でした。

控え室に戻り面会できるのを待ちました。
程なくして看護士が呼びにきてくれました。

中に入る前に殺菌し、帽子にマスクをつけ集中治療室に入りました。
そこにはベットに横たわるオカンが居ました。
まだ意識がもうろうとしてるみたいで会話をできる状態ではありませんでした。
ただその姿を見て壮絶な手術だったことが伺えました。

主治医 「○○さん、こちらへどうぞ」

私は主治医に呼ばれました。

主治医 「これがお母様から摘出した癌細胞です」

そこには食道らしきものに赤黒い直径5cm程の塊がありました。

私 「これがオカンを苦しめた癌か・・・」

主治医 「見える範囲の癌細胞は全て取りました」

主治医 「リンパ節への転移も見られませんでした」

主治医 「ただ、これで完治したわけではありません。これから再発や転移の可能性も十分あります」

主治医 「後は定期的に検査をして様子を見ましょう」

主治医の説明も終えオカンの顔を一目見て病室を後にしました。

今後の経過はどうなるかわかりませんでしたが、
この時は手術が成功した、それだけで今までの苦労が報われた気がしました。

とにかくオカンは勝ったのです。



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オカン(遺書)
 手術までの2週間色んなことを考えました。
もし中止になったときはオカンに何て言おうとか、
成功したとしても再発や転移の可能性も十分考えられるし、

当時、オカンは一人で住んでたのでそれも悩んでました。
退院しても一人では生活できんやろうな・・・
子供は私以外に姉と兄がいまして、
兄弟でもそんな相談はしたことあったんです。

姉はバツ2で現在娘と2人暮らし、
兄はバツ1で現在結婚してるのですが別居中、
とても姉や兄に任せれる状況ではありませんでした。
かと言って私の家では住む部屋が余ってないし・・・
最終的には私が面倒見るつもりで嫁にも相談してました。
しかし、姉が面倒見ると言いだしまして、

姉 「娘ももう働いてるしオカンの面倒ぐらい見れるわ」

私 「ほんまにええんか?」

姉 「トシの奥さんにこれ以上オカンの面倒見てもらうわけにいかへんわ」

姉 「今でもオカンの面倒私以上に見てくれてんねんで」

そうなんです。実は嫁がほとんど介護にあたってくれてたのです。
オトンの時もそうでした。
うちの身内は誰一人、嫁には頭が上がりません;;



いよいよ手術当日がやってきました。
手術は15時から行われるとのこと。
私と嫁は朝から病院に駆けつけてました。

私 「いよいよ手術やな」

私 「ちょっと緊張してんちゃう?」

オカン 「そんなことないで、お父さんが守ってくれるはずやわ」

私 「オトン1人で寂しくて迎えにきとんちゃうんw」

オカン 「それはそうとな、あんたに渡しとくもんあんねん」

私 「何よ?」

オカンは引き出しから封筒を取り出しました。

オカン 「私に何かあったらこれ読んで」

私 「何やこれ!遺書かい!」

私 「アホなもん書くなや!まだまだ生きるんちゃうんか!」

オカン 「でもなぁ、何があるかわからへんやん、最悪のことは考えとかななぁ」

やはり強がってただけなんです。
オカンは頭の良い人でして、
自分でもかなり癌のことは調べてたずなんです。
口には出しませんでしたが、最悪のこともわかてったみたいです。

私 「オカン、中身見てもええか?」

私はオカンがどんな想いで遺書を書いたのか知りたかったのです。

オカン 「出来たら私が死んでから見てほしいなぁ」

私 「アホか!こんな紙切れ無効やからな!」

私 「こんなん読んだら捨てるぞ!」

私は1人で喫煙所に行き封筒を開けました。

そこに書かれてたのは財産分与と感謝の言葉が書かれてました。
財産って言ってもそんな金持ちじゃありません。
家と貯金がいくらかあるぐらいです。

家と貯金の半分を私に、残りの半分を姉と兄で分けてほしって内容でした。

私 「なんじゃこれ・・・・」

私 「こんなん姉や兄に見せれるわけないやないか・・・」

別にうちの兄弟は誰一人として財産なんかアテにしてません。
でも、この内容はあまりにもおかしいと思いました。

理由も書かれてまして、

「本当は3人平等に分けてもらおうと思ったのですが、俊一の奥さんはお父さんや私に本当によくしてくれました。だから偏った分与になってしまいますが、これが私の意思なのでどうかこれに従って下さい。」

もっと書かれてたのですが、その場で捨ててしまった為、細かいことは覚えてません・・・

何とも複雑は気持ちでした。
オカンは自分の死も考えてる。
それを想うと知らぬ間に涙がこぼれてました。

手術当日やのにこんなことじゃアカン!
せめてオカンを元気付けようと病室に戻りました。

私 「あんな紙切れ捨てたからな!」

オカン 「ほんまに捨てたんかいな、また書かかなあかんなぁ」

私 「もう書かんでええわw」

オカン 「でもな、あんたはほんまにええ奥さんもろたな」

オカン 「他の2人はどうしようもないからな、あんたのとこだけは安心やわ」

私 「本人の前であんま褒めんなや、調子乗りよんがなw」

嫁 「誰が調子乗るって!?」

私 「ご・・・ごめんなさい;;」

何とか病室の空気を和ませようと色んな話をしました。
いつしか姉や兄、その子供達も集まって、
病室はいっぱいになりオカンの気を紛らわすことができました。

そして、いよいよ手術の時間になり、
看護士が現れ、色々準備が始まりました。

私達は別室で待機してて下さいとのことでした。
ベットを移し変えられ手術室に向かうオカンをみんなで見届けました。

どうか手術が成功しますように。
ただそれだけを願ってました。







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オカン(決定)
 思いのほか早い連絡にイヤな予感がしました。
しかも私だけ来て下さいとのことでした。

これって確かオトンの時にもあったな・・・
オトンの時は確か余命3ヶ月と告げられました。

もしかしてオカンもかな・・・


主治医の元を訪れると、主治医の他に2人居ました。


主治医 「○○さん、こちらが執刀して下さる○○外科部長です」

私 「ええ!手術していただけるんですか!?」

主治医 「はい、○○先生も何とか出来ると判断してもらえました」

私 「ありがとうございます!」

この時は涙がこぼれそうな程うれしかったです。
そして手術の説明を受けたのですが、
その内容に愕然としました。

部長 「それでは今から手術の内容を説明します」

レントゲンやらMRI、CTなどの資料を見せられました。

部長 「この部分に癌細胞があります」

部長 「食道のこの部分を切除して胃を持ち上げて残った食道と接続します」

本当はもっと専門的に説明されたのですが、
私では専門的に書けないんで簡素に書きます。

鎖骨の辺りからみぞおちにかけて切るらしく
持ち上げた胃は骨と皮膚の間を通ると言うものでした。
つまり皮膚のすぐ内側に胃(食道のかわり)があるのです。
従って、その部分はモッコリ膨らんでしまうんです。
まるでヘビがカエルを飲み込んだように・・・
この時はまだ現実を見てなかったのでうなずくだけでした。

部長 「ご理解頂きたいのですが、開いた状況で無理だと思ったら中止致します。」

私 「わかりました。どうか宜しくお願いします。」

部長 「今回○○さんだけお呼びしたのは、もし中止となった場合お母様に告知するかどうかです。」

部長 「このようなケースでは告知されないご家族の方もいらっしゃいますので」

これにはかなり悩みました。
そうなった場合オカンにウソ突き通すことができるかと。

私 「出来れば告知をしないで下さい」

もしオカンが事実を知ったら生きる希望を無くすんじゃないかと思ったんです。

部長 「わかりました。そのように致しましょう。」

部長 「悪いことばかり言いましたが、悲観ばかりしないで下さい」

部長 「私どもも最善をつくさせてもらいます」

その後オカンも交えもう一度説明を受けました。

主治医 「それでは手術の日取りなんですが、2週間後行います。」

オカン 「どうか宜しくお願いします」

主治医 「今後はあまり激しい運動や屋外に出るのは控えて下さい」

主治医 「風邪とかで熱が出たりすると手術を延ばさなければならなくなりますから」


一通り説明を終え病室に戻ったオカンはよほどうれしかったのでしょうか、
いつもにも増して表情が明るかったのを覚えてます。

オカン 「ほら見てみぃ、手術できるようになったやろw」

オカン 「絶対手術うまいこといくわ!」

私 「はいはい・・・、言うとくけど手術したらって言うて治ると決まったわけとちゃうで」

オカン 「絶対治るわ!私はまだまだ死なん!」

私 「はいはい・・・、あんたは死なんわ・・・」

そんなオカンを見て私は素直に喜べませんでした。
もしかしたら切除できないかもしれない。
オカンを見れば見るほど不安でいっぱいになりました。
最悪の場合オカンにウソつけるかな・・・・
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オカン(トレーニング)
 トレーニングと言ってもそんなハードなことをするわけではありません。
「とにかく動くこと」「体重を増やす」
この2つがメインなのですが、
それさえも困難なほどオカンは弱ってたのです。

食道がんの為、あまり口から物を食べることが出来ませんでした。
身長155cmで体重は38kgぐらいだったと思います。
もう骨と皮だけの状態に近かったですね。

入院するようになって栄養は点滴で補えるようになったんで、
今までよりは幾分マシにはなったと思います。
先に体調面を何とかしないとトレーニングどころではなかったんで、
体重が増えるのを待ちました。
しかし抗がん剤の副作用が酷く、
食べても嘔吐の繰り返しでなかなか体重が増えることはありませんでした。

それでもオカンはちょっとでも早く体力をつける為に、
毎日病院内を散歩してたのですが、
時折、自分で部屋に戻ることも出来ずに看護師さんのお世話になったこともあったみたいです。

そんな状況が1ヶ月程続いた頃、
なんとか体調面も回復してきたので徐々にトレーニングを始めました。

トレーニングと言うよりリハビリみたいなもんですね。
自転車やウォーキングがメインでした。
それ以外にも自分で階段の上り下りをしてたみたいです。

そんな生活が3週間程経った頃、

オカン 「ぼちぼち手術できるんちゃうかな?」

私 「それは医者が決めることであってオカンが決めることちゃうやろw」

オカン 「もうかなり体力ついてるはずやで」

私 「あのな・・・どっから見ても死にかけのオバハンにしか見えへんで・・・」

オカンの焦る気持ちもわかるのですが、
こればっかりは素人が判断できるものではありませんからね。

私 「明日、回診のとき聞いてみぃや」

オカン 「うん、1回聞いてみるわ」

次の日、主治医に聞いてみたらしいです。

主治医 「明日、体力測定をしましょうか」

主治医 「その結果次第で手術の日取りを決めたいと思います。」

次の日オカンは体力測定を行いました。
その2日後、主治医に呼ばれまして、私も病院に向かいました。

主治医 「先日の結果なんですが」

主治医 「以前よりは幾分良くはなってるのですが、手術に耐えれるかどうかとなると正直厳しいです。」

オカン 「後どのくらいやれば手術してもらえんですか?」

オカン 「こうしてる間にも癌は進行していくんでしょ?」

オカン 「お願いです。すぐにでも手術をして下さい。」

オカンはかなり切羽詰ってました。
やはり怖かったんでしょうね。
私の前ではいつも強がっていたんで、
そこまでオカンの気持ちを理解出来てなかったんです。

私 「実際どうなんですか?これ以上体力が回復する見込みはあるんですか?」

主治医 「それは何とも言えません」

私 「それじゃいつまでこの状態が続くんですか?1ヶ月ですか?1年ですか!?」

主治医 「私達は人の命を預かってる以上、少しでもリスクを避けなければいけません」

主治医 「○○さんの場合、ただでさえ困難なオペなんです」

オカン 「このまま何もしないで死ぬぐらいなら失敗してもいいから手術してほしいです」

オカンにとって手術することが心の支えになっていたみたいです。

私 「先生、どうか手術をしてやてもらえないでしょうか」

主治医 「私もできるものならしてあげたいです・・・」

主治医 「私に1週間下さい」

主治医 「院内で検討させてもらいます」

ここで一旦オカンを病室に戻しました。
私はオカンに帰ると告げ、もう一度主治医の元へ向かいました。

私 「先生、手術したとして助かる見込みはあるんですか?」

主治医 「難しいオペではありますが完治したケースもあります」

主治医 「成功したとしても再発や転移の可能性もありますし、完治と言うのはかなり難しいです」

私 「母を今支えているのは手術の2文字しかありません」

私 「なんとかならないでしょうか」

主治医 「○○さん、大変失礼なことを言いますが、お気を悪くなさらないで下さい」

主治医 「私どもも本当は手術をしたいのです」

主治医 「このような手術は極めて少ないのです」

主治医 「医療の発展や技術の向上の為にも経験を積みたいのです」

私 「それはモルモットってことですか?」

主治医 「決してそのようなものではありません」

主治医 「勘違いなさらないで下さい」

主治医 「お母様を実験台にするとかではありません」

主治医 「先ほど簡単にお返事できなかったのは、ちょっとでもリスクを減らしてオペをしたいからなんです」

主治医 「私個人の意見としましては、困難ではありますが手術は出来ると思ってます」

私 「本当ですか!」

主治医 「ただ、上の者を説得しなければいけません。それで1週間と言ったのです」

主治医 「かならず説得いたしますから、もう暫く時間を下さい」

私 「わかりました。宜しくお願いします」


また永い1週間を過ごさなければいけないのかと憂鬱になってました。
ところが3日後に病院から連絡があり呼び出されたのです。






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オカン(意思)
 
主治医 「検査の結果なのですが・・・」

主治医 「今の段階ではがん細胞の縮小は見られません」

私 「そうですか・・・」

私 「それでは抗がん剤治療を続けなければいけないんですね?」

主治医 「それなんですが、抗がん剤の副作用と思われるのですが、白血球がかなり少なくなってます。」

主治医 「このままでは抗がん剤治療を続けることも不可能ですね。」


当時の記憶では確か白血球が減ってたんだと思います。
増えてたのかな・・・
この辺はちょっと曖昧です。
とにかく抗がん剤治療を続けることが出来ないと言われました。

私 「それでは今後どのように治療して行くのでしょうか?」

主治医 「どうしても手術を望まれるのでしょうか?」

私 「はい。母がどうしても手術を希望してますので、出来ればその方向で行きたいと思ってます。」

主治医 「今の状態でも手術することは可能です。」

主治医 「ただ、かなり危険な手術になることは確かです。」

私 「危険と言いますと、もしものこともあると言うことですか?」

主治医 「それもありますが、切ってみて手の施しようがなければそのまま閉じる可能性もあります。」

主治医 「それともう一つの問題は患者の体力です。」

主治医 「手術は長時間に及びますので、患者にかなりの負担がかかります。」


この段階で私は手術をあきらめていました。
そんなリスクを犯して治るかどうかもわからないいのに・・・
余計に寿命が縮まるのではないかと。

するとオカンが口を開きました。

オカン 「先生、それでも私は手術を受けたいです。」

一瞬は私はこの人何言ってんの?って思いました。

私 「オカン、今の説明聞いたやろ?」

私 「オカンの体力やったら無理やねんって」

オカン 「体力付けたらええんやろ!」

オカン 「先生、私はまだまだ生きたいんです。どうか手術をお願いします。」

さすがに主治医も困った様子で私と目を見合わせました。

私と主治医でその後も何度も説得しましたが、
オカンの意思が変わることはありませんでした。

主治医 「わかりました。そこまでおっしゃるのなら私も全面的に協力致します。」

主治医 「その代わり○○さん、これから手術までの期間は私の作ったメニューをこなしてもらいます。」

主治医 「ちょっとでも体力がつくようトレーニングしてもらいます。」

私 「先生、この年からでもそんなことが可能なんですか?」

主治医 「もちろん可能です。ただお母様の場合かなり体力が低下してますので、かなりの努力が必要になります。」

オカン 「やります!宜しくお願いします!」

私はもう何を言っていいのかわからず、
もう好きにしてくれと半分投げやりになってました。

抗がん剤治療が出来ないとなった今、手術をするならなるべく早くしなければいけません。
体力をつけると言っても、どの程度で手術できるレベルになるか私達では判断できませんし、
先の見えない現状に不安を抱える毎日でした。

ただ思ったのは、オカンの生きたいという意志は並大抵ではありませんでした。

そして辛いトレーニングが始まったのです。




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オカン(抗がん剤)
 主治医の説明でオカンもかなり落ち込んでました。
もしかすると手術が出来ないかも知れない。
この言葉はオカンの希望を大きく壊してしまったようです。

私「オカン、今の説明聞いても手術するんか?」

私「抗がん剤したらしんどいの知ってるやろ?」

私「やっぱやめとかへんか・・・」

オカン「しんどくても我慢するから抗がん剤治療するわ」

私「・・・・・・そうか」


オカンの強い意志により抗がん剤治療を受ける事にしました。
抗がん剤は副作用がきつくて、
嘔吐や髪の毛なども抜け落ちてしまいます。

またあの姿見なあかんのか・・・・
あの姿は本当に見てる方も辛いんです。
本人はもっと苦しいでしょうけど・・・・


主治医の話では、ある程度効果が見られるまで続けるとのこと。
1回で効果があるのか5回で効果があるのかわかりません。
もしくは効果があらわれないかも知れません。
それに何回も打つと一層体力が無くなっていきそうで・・・
できるな早期の段階で効いてくれることを祈ってました。


即入院し、早速1回目の抗がん剤治療が始まりました。
最初の1〜2日はそうでもなかったのですが、
日を追うごとに副作用があらわれ始めました。
そんなオカンを見て、やっぱやめさすべきやったかなっと何度も思いました。
それでも私が顔を出すといつも強がって
「大丈夫、大丈夫」と言うのです。
どこが大丈夫やねん・・・・・
そんなオカンを見るのが辛く病院に行くのは気が重かったです。

それから幾日が経って、効果が出てるか検査を受けまして、
私達は効果があるのを祈りながら結果を待ちました。

主治医に呼ばれオカンと説明を伺いました。
そして聞かされた言葉はさらにどん底に叩き落される結果でした。
| toshi9779 | オカン | comments(2) | trackbacks(1) |
オカン(方向性)
主治医と相談した結果、手術する方向で決まったのですが、
手術するにしても今のままでは難しいらしく、
まずは抗がん剤治療で癌を小さくしてから手術した方がいいと言うことでした。
抗がん剤治療には三ヶ月程かかるので、
その間に基礎体力もつけてほしいと。


私「どうしても抗がん剤治療しなけれはいけませんか?」

主治医「今のままでは癌細胞が大きすぎて手術が不可能なんです。」
主治医「もし抗がん剤の効果が現れなければ手術は出来ません。」

手術するにもかなり厳しい条件をクリアしなければいけなくなりました。


病院を後にした私達は沈黙が続きました…

| toshi9779 | オカン | comments(0) | trackbacks(1) |
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